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世界文化遺産天草の﨑津集落を訪れ潜伏キリシタンの歴史について学ぶ!

世界遺産シリーズとして、今回は日本の世界遺産の中でも比較的新しい「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」についてご紹介します。

 

この遺産は一つの物件だけではなく、長崎県内や熊本県天草にある複数の教会やその関連施設が世界遺産の対象となっています。

この遺産が登録された背景としては、1549年お馴染みのフランシスコ・ザビエルによって日本にもたらされたキリスト教は江戸時代1614年以降約250年もの間禁教となりました。

 

しかしながら、「潜伏キリシタン」としてこの禁教時代も密かに信仰が継続されており、特に布教の中心であった長崎県には敬虔なキリスト教信者(キリシタン)の集落や彼らがお祈りを奉げる教会等が数多く残っており、その当時の文化的伝統が高く評価されたことから、禁教開始から約400年後の2018年に世界文化遺産に登録されました。

登録基準は(ⅲ)のみです。

 

※登録基準についてはこちらの記事も併せてご覧下さい。

 

潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」という言葉についてですが、混同してしまうので違いをまとめておきますと、

潜伏キリシタン:江戸時代の禁教期に表向きは仏教徒のように見せているが、実績にはキリスト教を信仰している人。

隠れキリシタン:江戸時代末期以降キリスト教信仰が認められた後も、カトリック信仰ではなく、これまで禁教期に築いてきた独自のキリスト教信仰を隠れて続けている人。

 

 この世界遺産の構成資産は有名な大浦天主堂など12の遺産がありますが、その中でも天草にある﨑津集落をご紹介します。

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milede-mile撮影

 

天草の潜伏キリシタンの歴史

天草空港から車で約1時間、熊本空港から車で約3時間の所にある天草の南西部にある﨑津集落はキリスト教伝来期には布教活動の拠点にもなっており、キリシタンも多く暮らしていた集落です。それゆえ江戸時代にはキリスト教を棄教させる絵踏みも行われていました。

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Google mapより

 

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milede-mile撮影

 

江戸時代は幕府による厳しい弾圧の中、表向きは仏教や神道の信者を演じつつ、集落内では洗礼の方法やオラショと呼ばれる祈りの言葉(お経のようなもの)が密かに伝承されていました。

また、﨑津集落の信仰方法の特徴として、漁村らしくアワビの貝殻の内側の模様をマリア様に見立てたり柱をくり抜いてその中にマリア様の肖像を象ったメダイ(メダル)を隠しておくなど、様々な方法によって信仰を続けながら、かつ幕府からの弾圧を逃れてきたようです。

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﨑津集落資料館のパンフレットより引用

 

下の写真中央には白亜のマリア像が岩陰に海の方を向いて立っています。これも﨑津の信者の信仰の対象となっていますが、幕府の目につかないよう入江の集落から離れた所に立っています。

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milede-mile撮影

 

それでも潜伏キリシタンが幕府によって発覚、弾圧されることが多々発生しました。

﨑津集落でも1805年のクリスマスに﨑津諏訪神社で牛肉、魚肉を祭壇に供えているところを幕府により取り調べを受け、1,709人が摘発される「天草崩れ」とよばれる出来事が起こりました。

幕府の弾圧を避けるため、苦肉の策として神社でキリスト教のお祈りを奉げていたようです。

 

﨑津諏訪神社から集落の様子を撮影したものですが、神社の鳥居と教会がすぐ近くで共存しています。

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milede-mile撮影

 

江戸時代の潜伏キリシタンの信仰や幕府による弾圧については、遠藤周作氏の小説『沈黙』でも著されています。2017年には映画化もされました。

 
禁教が解かれた「信徒発見」 

幕末に日本は開国し、1864年に建設された大浦天主堂では十数人の潜伏キリシタンが禁教の中約250年間独自の信仰を守り続けていたことを神父に告白した「信徒発見」が起こります。

ヨーロッパ諸国では江戸幕府の弾圧により日本にはもうキリスト教徒はいないものと考えられていたので、衝撃であったようです。

 

信徒発見と倒幕を機に禁教は解かれ、その後1934年キリスト教布教が盛んであった﨑津集落にも﨑津教会が建設されました。建設されたここはかつて江戸時代に絵踏みが行われた庄屋役宅跡だそうです。f:id:kamakiri3569:20200521214557j:plain

milede-mile撮影

 

﨑津や長崎県の多くの場所では約250年貫いてきた集落独自の信仰を正式なカトリックの信仰へ変える人もいれば、今なお集落独自の信仰方法を継続している人もいます。(特に独自の信仰を今なお隠れて継続している人を隠れキリシタンと言います)

 

江戸時代の様々な集落の独自の信仰方法や独特なロザリオ(十字架)、メダイといった祭器には今なお解明されていない謎な部分も多くあります。

また幕府による弾圧の中、自分たちの代で信仰を絶やしてはいけないと考え必死に伝承の工夫を行ってきた信者たちの心持ちは察するに余りあるところです。

 

﨑津集落は教会や資料館、﨑津諏訪神社をぐるっとめぐっても1時間程度のコンパクトな範囲にあります。今でもそこでは多くのキリスト教信者の生活が営まれていていますが、至ってのどかな田舎町といったところです。

禁教時代から続くその町並みの面影を感じながら散策してみてはどうでしょうか?

 

﨑津集落とは別に、現在も隠れキリシタン信仰が続く長崎県生月島(いきつきしま)にまつわる参考著書

 

 

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