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首里城正殿が火災焼失。在りし日の姿を振り返る。

2019年10月31日早朝に沖縄県那覇世界文化遺産首里城の正殿等建物が火災とのニュースが報じられました。

午前2時40分ごろ正殿から出火し、同日午後1時半ごろまでの約11時間にわたり燃え続け、正殿や北殿、南殿、書院などに延焼しました。

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その歴史は、15世紀にさかのぼります。尚巴志(しょうはし)が中山(ちゅうざん)、南山(なんざん)、北山(ほくざん)の三山(三つの国)を統一して琉球王朝を立てるとこの首里城を居城としたのが始まりです。

 

その後も琉球王朝の政治、外交の中心となりましたが、幾度の火災や太平洋戦争の沖縄戦での焼失でその姿の維持が危ぶまれました。

そして戦後30年以上を経て、1992年に首里城公園として先日までの姿に復元することができました。

 

2000年には九州・沖縄サミットの夕食会が行われ、同年に首里城跡として県内の他のグスクと共にユネスコ世界文化遺産に登録されました。

また、時を同じくして首里城への入口となる守礼門は2,000円札にも描かれるほど注目されました。

 

首里城公園のハイライトは正殿、北殿、南殿といった中国と日本の建築様式を織り交ぜた行政施設としての建物とそれらに囲まれた「御庭(うなー)」と呼ばれる広場です。

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かつての王朝時代には御庭では王の前にたくさんの諸官が並んで、様々な儀式が行われました。地面の赤色のラインは磚(せん)と呼ばれ、地位によってその立ち位置を示す目印になっていたようです。

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正殿の内部には玉座の展示等、当時使われていた品々が展示されていました。

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また、隣接する書院等も公開されており、畳敷きで障子戸、床の間等その内部は純和風な建築様式となっていました。

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報道によると展示品の他、内部に所蔵されていた古文書や絵画等琉球王朝当時の重要収蔵品もいくらかは焼失したようで、大変残念です。

 

今年は4月に同じく世界文化遺産でフランスにあるノートルダム寺院が火災に遭い、ゴシック建築の象徴である尖塔とその建物の大半が焼失した痛ましいニュースがありました。

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この首里城も戦後の焼失からようやく修復が完了して、2020年東京五輪聖火リレーのルートに選ばれており、これから再出発という時に遭った火災なだけに大変残念な出来事です。

これだけの大火災なので、修復にはまた数十年かかる可能性がありますが、一日も早い再建が望まれます。

 

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